提供:日本M&Aセンター大分初セミナー 編集:大分経済新聞
国内最大手のM&A仲介会社「日本M&Aセンター」(東京都千代田区)が大分オフィスの開設を記念して開いた「アフターコロナを生き抜く経営戦略セミナー」(11月18日、レンブラントホテル大分)。地域コンサルタントらによる事業承継や成長戦略を解説した第1回に続き、M&Aで大分の企業に会社を譲渡したオーナーの体験談を紹介する。
大分オフィス(大分市府内町3、TEL 050-6865-3720)は、2020年6月30日開業。仲田理リーダーをトップに据え、新型コロナウイルスの影響で成長や存続の危機に直面している地域企業のサポートしている。
大分オフィス開設後初めて開いた無料セミナー
セミナーは参加費無料で初開催。経営者や親族、関係者ら約50人を集め、「加速する事業承継とM&A」「いま、選択すべき成長戦略-M&AとIPO-」「M&Aで会社を譲渡した元オーナーの体験談」の3部構成で実施した。オンライン配信も同時に行い、来場できない参加希望者らを手厚くカバーした。
矢下善生さんは福岡県春日市で博多名産の辛子高菜などを製造・販売する「樽味屋」の前社長。自社製品の売れ行きは好調で、業績も堅調だったが親族への承継はせず、創業当時から考えていたM&Aを決断。2019年に大分市でラーメン店などを多角的に経営する「ヤマナミ麺芸社」(大分市、吉岩拓弥社長)に株式を譲渡した。セミナーでは聞き手の仲田リーダーを相手に体験談を披露した。
-起業の経緯をお聞かせください
創業は1979(昭和54)年で当時は高校3年生でした。親がサラリーマンの家で育ったのですが、自分は経営者になりたいという思いを強く持っていました。建築や機械などさまざまな業種を考えましたが、「決してなくならない」という理由で食品関連を選びました。
周囲の経営者の方々からは「企業はおよそ40年すると衰退する可能性が高い。40年後にバトンタッチすることを考えながら経営しなさい」とのアドバイスを受けました。この時から「きっちりとした引退をしなければ経営者失格だ」との考えを持つようになりました。
矢下さんは1979年に食品メーカーを起業した
-その「バトン」を親族へつなぐことは検討されましたか?
考えたこともありましたが、身内だとつい厳しく当たってしまい、親子関係に亀裂が生じてしまうのではとの思いもありました。
実際のところ、親子とはいえ、やはり自分が尊敬できるぐらいの能力がないと経営は難しいとも考えていました。実力がないのにオーナーになると本人も従業員もとても苦労します。そういった会社をたくさん見てきたこともあり、身内に継がせるはやめようと決断しました。
-社員への承継は考えましたか?
創業後に初めて雇い、私の右腕となった男性社員に継がせたいという気持ちはありました。ただ、実際にバトンタッチするとなると億単位の承継になってしまいます。借金もしたこともない個人に「銀行から金を借り入れて株式を買い取ってくれ」というのは難しく、断念しました。
-M&Aについてはご存知だったのでしょうか?
存在は知っていましたが、大きな企業がするものだと思っていました。敵対的に乗っ取られるというイメージもありました。しかし、金融関係の方々からM&Aについての照会があったことなどから興味を持ち始め、情報を集め、会計事務所と検討するまでに至りました。
「M&Aは大きな企業がするものだと思っていた」と話す矢下さん
-M&Aを進めるに当たり、ご家族と相談されましたか?
経理担当の妻と2人で経営してきましたが、常に「40年たったら引退しよう」という話をしていました。やめるときの承継についても早い段階から「身内に継がせるのはやめよう」と結論を出していたのでは方向性が決まるのも早かったと思います。
-具体的にM&Aを進める相手企業の希望はありましたか?
地域は限定せず、日本中どこの企業でも良いと考えていました。ただ、自社の40代幹部と同世代の若手が経営している会社を条件としていました。
-弊社が紹介した相手に会ってみようと思った理由は?
一番最初に手を挙げてくれたというのが大きいですね。会ってみて、内容を精査させてもらいすぐに決めました。ビジネスにはスピード感が重要で、時間をかけても結論は変わらないケースが多いと思います。一番最初に「やりたいです」と言ってくれたところを最優先にしたいと思いました。
-事業上の相乗効果をどのように想定していたのでしょうか?
ヤマナミ麺芸社は「BtoC」で主に小売り関係が多く、樽味屋は空港や高速道路の売店、通販事業などのギフト関係に強かったので、ヤマナミ麺芸社の店に辛子高菜を置くなどして互いの強みを生かせば絶対に成果が出ると思いました。
譲渡後の展開について細かく打ち合わせをしていたので成約式を迎えたときも、寂しいというよりも「これからことが起こる」というワクワク感の方が大きかったですね。
-秘密保持しながら進めてきたM&Aをどのように従業員に説明したのでしょう?
この部分に一番気を使いました。私が譲渡すると言っても、社員が不満に思い離脱するようなことがあれば意味がありません。価値ある譲渡を納得してもらえるようにストーリーを考え、「大分で頑張っている会社があるから訪問してみないか」と幹部社員を誘って工場見学に行くところから始めました。
ヤマナミ麺芸社では壁に従業員一人一人の目標設定が貼ってあり、社員は樽味屋にはない強みを感じ取ったようでした。その段階を経てから「高菜を売り込もうと思ってる」「一緒にやろうと盛り上がっているんだが」と伝えたところ、「一緒にやれば面白い展開になるかもしれませんね」という言葉を聞けたので、初めてM&Aの話をオープンにしました。
当日はセミナーの内容をオンラインで配信した
-譲渡後の生活はいかがでしょうか?
2020年の1月31日までは常勤で毎日会社に出ていましたが、退職した途端にコロナ一色になりました。空港や駅からは人がいなくなり、売り上げは目に見えて落ちていきました。会社もほとんど動きが取れなかったことから、それまで鳴っていた相談の電話もピタリととまり、寂しい思いをしました。
一方で、妻は、それまで仕事をしているか、家事をしているかという自由な時間がない人生だったので「趣味や自分の時間が取れる今が一番」と話しています。
「漬物文化を残していきたい」と話す矢下さん
-「漬物伝道師」として活動されているそうですが。
「本業で社会貢献ができる企業は絶対につぶれない」と言われてきました。樽味屋は漬物をメインとしてきたので漬物文化を後世に残していくことが私の使命だと思い、地域で漬物作り講習会を開くようになりました。また、外部から「高菜の栽培をしたい」「漬け方を教えてほしい」という声もいただいているので、さまざまな形で活動していこうと考えています。
-経営のバトンタッチはどう評価されていますか?
私の場合はまだ自分が元気なうちに譲渡できたので成功だったと思います。コロナ禍で大変な時期ということもあり、出張に同行したり、アドバイスを送ったりするなど多様な形で支援しているんですが、これもまだ体が動くからできることなんです。
-譲渡を希望する経営者へメッセージを
譲渡が決まって分かったことも多いですね。2社の年間休日数が異なるなど、従業員の文化や待遇が違うことも多いので、細かいところまですり合わせておいた方が譲渡後もスムーズに進むと思います。また、M&Aをするに当たり、オーナーは自社を過大評価しがちになります。冷静に評価してくれる第三者を選ぶのも重要です。
-買収を希望する経営者にもお願いします
「買ってやる」という態度を少しでも見せると破綻してしまう可能性があります。「買わせてください。一緒になって会社を伸ばして行きましょう」という姿勢が良いと思います。2社が一つになって3、4倍に伸ばしていくプラス的なM&Aは、今後、増えていくと思います。
約50人が矢下さんの体験談に聞き入った
-最後にこれからの目標をお聞かせください
好きで会社を起こし、好きでM&Aをして、また一緒になった会社を側面からバックアップしていけるのでとにかく幸せ。買っていただいたところにも良かったといわれるように、これからも影の応援団として両社を盛り立てていきたいですね。
日本M&Aセンター戦略セミナー事務局は、矢下さんを支えてきた奥さまの話にも耳を傾けた。M&Aを実施する際の心境などを約2分のインタビュー動画にまとめ、ユーチューブ上で限定公開している。