フォーク音楽をこよなく愛した男性が亡くなる前に企画した「音遊び 庭咲ライブ 春の宴」が3月30日、由布市の「音遊びはうす」(由布市湯布院町下湯平、TEL 090-6637-8237)で開かれる。夫に代わりイベントを開く世ノ上明子(めいこ)さん(68)は「何があっても開くと決めていた。笑顔で盛り上がりたい」と気丈な姿を見せている。
夫の昇さんは愛媛県生まれの大分育ち。高校時代に出合ったフォーク音楽に引かれ、全国のライブ会場を巡るようになった。1998年からは仲間とグループをつくり、「Sound cabin 音遊び」として活動。ボブ・ディランの歌詞や詩集を日本語訳した中川五郎さん、フォーク歌手の加川良さん(故人)やツアーミュージシャンらを招いて独自のコンサートを開くようになった。
昇さんと明子さんは小中学校の同級生。「夫はとにかくやんちゃだった。互いにいろいろあったが最後は自分のところに来るのは何となく分かっていた」と、当時から見えない絆を感じていたという。
昇さんは60歳になる時に膠原(こうげん)病を発症。治療を続ける中で2017年6月に膵臓(すいぞう)がんが見つかった。既に手術ができない状態だった。明子さんは「子どもたちはいろいろ調べていたようだが、私たちはあえて余命などは聞かなかった。一日一日を積み重ねていけばいいと思った」と振り返る。
闘病中も昇さんのフォーク愛は変わることなく、2018年5月には大分市の田ノ浦ビーチでコンサートを開催。11月には東京、年末は佐賀・唐津のコンサートに足を運んだ。この3月には定年を機に移り住んでいた敷地約1000平方メートルの民家を利用したイベントを企画していた。
親族で年を越したが、1月10日に脱水症状を起こして入院。2月4日に一時帰宅したが激痛にさいなまれ2月11日に再入院した。鎮痛剤の投与で意識がもうろうとする中で、3月30日のイベントについて「俺がせんといけんやんか」「誰がするんか」と盛んに口にしていたという。
前日まで意識はあったが2月23日に急変。15時20分に息を引き取った。明子さんは「それまでに意識していなかった感情でいっぱいになり、抱きしめたくなった。『いとしい』という言葉の意味を初めて体感した」と涙を浮かべる。
30日のイベントは「地域と一体化したコンサートで盛り上がりたい」という昇さんの夢でもある。昇さんは納屋や倉庫を改装してライブハウスに仕立て、家の前には「Sound Cabin 音遊び」の看板も出していた。こうした思いをくんで、地域の住民や音楽仲間とともに「何があっても絶対に開こうと決めていた」という。
当日は飛び入りを含めて15組以上が駆け付け、青空の下で持ち歌を披露する。バーベキューの食事やアルコールなどは飲み放題で、昇さんが育てたダイコンをおでんにして振る舞う。食材や飲料の持ち込みも自由。寝袋などを持参すれば宿泊も可能。近隣に臨時駐車場を借り受けるという。
「最後の言葉は『頑張る』で、余命を生き切ったと思う。私も頑張って前を向いていきたい」と明子さん。「誰に来てもらっても構わない。にぎやかなことが好きだったので昇さんの分まで歌って騒いで楽しんでほしい」と来場を呼び掛けている。
10時開演。入場料は2,000円(中学生以下無料)。