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大分収容所ドイツ人捕虜と地域住民のつながり「時代超え温かく」 別府大で写真展

「大分の人の温かさを知ってほしい」と話す安松教授

「大分の人の温かさを知ってほしい」と話す安松教授

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 別府大学(別府市北石垣)の佐藤義詮記念館ギャラリーホールで現在、「ドイツ兵が見た大分の人々と風景の写真展~大分県桜ヶ丘聖地から始まる日独交流~」が開かれている。第1次大戦中に大分収容所に収容されていたドイツ人捕虜と彼らを包んだ大分の人や風景の写真約80点を展示している。

「キーゼヴェッター兵士の市中葬列」

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 収容所は1914(大正3)年から1918(同7)年まで現在の大分市金池小(金池3)の敷地内にあり、約200人のドイツ人捕虜が生活していた。

 写真展は、収容所の歴史を研究する同大の安松みゆき教授を中心に企画。「大分桜ヶ丘聖地からはじまる交流」「ドイツ兵の日常」「娯楽」「小学校との交流」「ドイツ兵が見た大分」「水害」「墓を守り続けている人々」「未来に向けて」の8章に分けて展示している。写真の多くは捕虜が撮影したもので、出典はドイツ日本研究所、鳴門市ドイツ館など。個人提供の写真も並ぶ。

 安松教授によると、ドイツ人捕虜は自分たちで日課を定め規律正しい生活を送っていた。強制労働はなく、ビールを飲むことやたばこを吸うことも許されていた。地域との交流も見られ、小学校の運動会にも参加。社寺仏閣などを訪れる遠足もあったという。写真には海地獄で温泉卵を作ったり、地域住民の前で器械体操の模範演技を見せたりする姿が見られる。

 ドイツ人捕虜のうち2人が病死。大分県桜ヶ丘墓地(志手)に埋葬され、墓は地域の人たちによって守られてきた。こうした内容を安松教授が論文で紹介したことで、2020年、2人のうちの1人の親族、駐日ドイツ大使館付武官カルステン・キーゼヴェッター大佐の墓参が実現した。

 写真展では、町中の道に長く延びる葬列を捉えた「1917年5月10日のユリウス・パウル・キーゼヴェッターの葬式」(ドイツ日本研究所所蔵)などを展示。志手住民が桜ヶ丘聖地を清掃する現在の様子も紹介している。

 安松教授は「地域の人はドイツ人を怖がらずに温かく見守っていたと思う。ドイツ人の遺族が来訪することなど考えずに100年も供養してきたことも本当にすごい。時代を超えて続く大分の人の温かさを知ってほしい」と話す。

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