大分県立美術館OPAM(大分市寿町2、TEL 097-533-4500)で2月9日、「歌心と絵ごころの交わり」が始まった。
大分ゆかりの画家・佐藤渓(1918~1960年)と俳人・種田山頭火(1882~1940年)を紹介する同展。全国を放浪する中で生み続けた2人の絵や俳句など約230点を展示する。
同館によると、広島生まれの佐藤は、北海道から沖縄まで各地を巡り、湯布院で最期を遂げた。会場には水彩画、油彩画、鉛筆画のほか、詩や両親に送ったはがき、訪れた地名を記した図など約200点が並ぶ。両親が住んだ由布市の若杉周辺の風景を描いた「湯布院にて」、戦地の中国を思い起こして筆を執った「蒙古の女」、戦死したいとこを鉛筆だけで描いた肖像画など作風は幅広く、主幹学芸員の吉田浩太郎さんは「実質の活動期間はわずか13年ほど。その間にさまざまなスタイルで作品を残し続けた。非常に手先が器用で、似顔絵を描いたり、傘や金物を修理したりして日銭を稼いでいた」と多才ぶりを解説する。
山口県生まれの山頭火は熊本で出家し、托鉢(たくはつ)僧として全国を行脚した。大分には5回訪れ、各地に句碑を残している。今回は「まったく雲がない笠(かさ)をぬぎ」「分け入っても分け入っても青い山」などの掛け軸、中津の知人に宛てたはがき、屏風(びょうぶ)、句集など約30点を展示。吉田さんは「酒の席などで即興的に詠んだ句も多く、『合作屏風』は酔った勢いで屏風に句を書き込んだとされている。崇高な僧ではなく弱いところがあり、それがまた共感を生む」と人間性に触れる。
佐藤が中津で描いた「二人の雲水」は、笠をかぶった2人の僧が草原を歩くさまを描いた作品で、山頭火の「炎天をいただいて乞い歩く」の句を添えた。吉田さんは「佐藤と山頭火に接点はなかったが、ともに無一文の旅を通して自然と芸術を追究したところが味わい深い。大分とのつながりを含めて2人の足跡をたどってほしい」と話す。
18日14時から同展の座談会を開く。申し込み不要で当日先着順に受け付ける。10日14時、23日16時、3月10日14時からは同館学芸員によるギャラリートーク(約60分)も行う。同展観覧券が必要。
開催時間は10時~19時(金曜・土曜は20時まで)。入場料は、一般=500円、大学生・高校生=300円、中学生以下無料。3月11日まで。